法制度はどんどん整備拡充されています

 
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  借金整理について  
 
 
・借金整理入門編
●借金脱出日々進化する環境と手段
消費者金融をめぐる激変する環境、サラ金対債務者、ステークホルダーの攻防
サラ金とWindows98の登場
整備拡充する法制度
●超簡単借金整理の理解
●城南司法書士合同事務所の借金整理10年
●借金脱出の基本原則
●借金整理と家計再建の方法
●最低生活費基準
●多重債務者の発生システム
●借金整理選択の目安
●家計の根本徹底研究
●手続き費用なければどうする?
 
   
 
     
  借金整理実践編  
 
   
 
     
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TOP > > 借金整理について

 
 
 
借金整理入門編
 
 
 
 
 
 
 1998年、平成10年1月 改正民事訴訟法施行
 
 
 
 
 
 1998年、平成10年2月7日 少額訴訟施行
 
 
 
 
 
 2000年、平成12年2月17日 特定調停法施行
 
 
 
 
 
 2000年、平成12年10月1日 民事法律扶助法施行
 
 
 
 
 
 2001年、平成13年4月1日 個人民事再生法施行
 
 
 
 
 
 2001年、平成13年6月12日 司法制度改革審議会意見書内閣に提出
 
 
 
 
 
 2002年、平成14年 ヤミキン被害全国に
 
 
 
 
 
 2003年、平成15年8月認定司法書士制度スタート
 
 
 
 
●整備拡充する法制度(1)
 
 
  1998年、平成10年1月 改正民事訴訟法施行
1998年、平成10年2月7日 少額訴訟施行


2000年以前には、個人の借金整理と言えば自己破産と債務整理しかありませんでした。200万人と言われる多重債務者を法的に救済できるのは弁護士さんだけと言う状態が当然のように続いて来たのです。

1970年、カード社会の到来から30年間それは変わりませんでした。そのような中で90年代には、それまでにあった司法書士の裁判書類作成権限に着眼して自己破産手続きの援助をする司法書士たちが登場します。司法書士会で知られる稲村司法書士や、吉岡司法書士はクレ対協の宇都宮弁護士の指導を受けて消費者の自己破産援助を手がけ始めたパイオニアです。

  1998年に私は「超済出発」という自己破産の手引書を出版しました。この本の狙いは実は自己破産についての司法書士向けの啓発にありました。今日もそうですが、司法書士会のクレサラ対策部門は、宇都宮、木村弁護士率いるクレサラ対協の大きな影響下にあります。これとは別に私は、吉岡司法書士と1998年秋に司法書士向けのセミナーを開きます。このとき、吉岡事務所の事務補助者をしていたのが「女性自立の会」の代表有田さんでした。

私たちは、自己破産の手続き費用が高すぎるし、依頼者や消費者に手続きの費用を明示しないのはアンフェアーであると考えていました。当時は、自己破産の手続き費用は、弁護士で一人60万から80万円とも言われていました。司法書士でもその半額、30万から40万円などと言われ、クレサラ対協の弁護士や司法書士がそれより安く実行していたというわけではありません。吉岡さんや私は、10万円から15万円で自己破産援助を行い、私の場合この価格を新聞広告で明らかにしていました。大量に生み出されるカード破産者を相手のビジネスは手間のかかる訴訟事件に比べて定型的で面倒もありませんから、まだ顧客の少ない退職裁判官や退職検事、いわゆるヤメ険ヤメ判弁護士たちにとっても効率的で収益性の高いビジネスでもありました。

  バブル崩壊をはさんだ30年間、増大するカード破産者、家族崩壊、離婚、自殺、ホームレス・・供給側の成長に対応していない消費者側に必然的に生ずる犠牲にたいし、それへの救済策を放置し、業務独占と独占価格維持で応えて来た日本の法律家達、しかしこの強固な仕組みも、WTO、国際世論や国内世論を背景とした、規制改革や司法制度改革の進展によって崩壊し始めています。
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  2000年、平成12年2月17日 特定調停法施行

90年代は、バブル崩壊にともなう産業の再編成、金融の再編成、不動産担保主義からの脱出が図られた時代です。サービサー法や合併、営業譲渡の要件緩和など、生産供給側の法整備が先行して行われました。しかしその半面で、個人の時代、消費者主権の時代という先進各国の動き、健全な市場経済の育成、業法と業者団体を使っての事前規制から、司法手続きによる事後規制体制への移行という流れの中で、消費者契約法や個人情報保護法など、消費者のための新しい法制も出来ました。業法では貸金業規制法も改正され、未登録業者への規制が強化されました。

そうして2000年代に入り、相次いで消費者の借金整理のための法制が作られ、最後に破産法も改正されました。こうして2000年代に入り、インターネット革命にもたすけられながら、20世紀後半30年間に形成されたヤミの巨大クレサラ世界、業者の過剰融資と弁護士の業務独占が両輪となって作られたけったいなクレサラ市場も、その姿を変えつつあります。

今、弁護士、司法書士業界では「提携弁護士」「提携司法書士」問題で大揺れです。しかしこの問題の根は閉ざされた前世紀30年間の構造にあるのであって、そのような構造が解体すれば自然に無くなって行くものです。なぜなら、整理屋と提携した弁護士や司法書士、そして整理屋の分け前と利益の源泉は弁護士団体、司法書士団体の価格への不明朗さ、価格競争回避体質、独占高価格にあるのであって、これらが公開され、消費者国民の前で堂々のサービス競争が展開されれば、そのような中間者が利得出来る機会は失われるからです。

ヤミの30年間は、自己破産以上に「債務整理の世界が百鬼夜行の世界」でした。弁護士と整理屋の仕切る異常な世界と言っても言い過ぎではありません。クレサラ対協の今弁護士が多重債務者に訴えられたように債務者に会計報告をせず、報告義務を怠る弁護士は珍しくなく、私の扱った案件のなかでは弁護士が業者より受け取った過払い利息金を着服するものまでいました。整理屋にはマル暴がバックにいるものも少なくありませんでした。そうした背景を踏まえて、ついに議員立法で、2000年、平成12年2月17日 特定調停法が施行されるに至りました。 

特定調停法は、裁判所の調停委員会が債務整理をするというもので、施行以来3年、裁判所の受託事件数も飛躍的に増え、国民自身が自ら独力で申し立てる事件数も日々増えています。私の特定調停のページでは、申立書のフォーマットや書き方の説明もいたしますので、4〜5件の債務であればご自分で申立書を書き申し立てられると良いでしょう。1件、千円ぐらいで債務整理が出来るのです。ヤミの世界の透明化の第一歩が踏み出されたのです。
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  2000年、平成12年10月1日 民事法律扶助法施行
2001年、平成13年4月1日 個人民事再生法施行


特定調停制度が施行された2000年、平成12年の秋になると自己破産のほか特定調停による債務整理の代書が増加し、当事務所の債務整理関係取り扱い事件数が、登記事件数に並ぶようになります。またこの年、夏、ドメインを取得しホームページを始めて公開しました。又、文書作成を、ワープロからパソコンに完全に切り替えました。これらの事件の依頼者の多くは、大半が産経新聞の暮らしのインフォメーション欄の広告の反響によるもので、その影響の範囲は関東一円に及び、広告を蔑む尊大な法律家達を向こうにまわしてよるべなき多数の多重債務者達を救済しました。
この年、2000年、平成12年、10月1日、民事法律扶助協会が、民事法律扶助法に基づいて発足、スタートしました。そして、発足後自己破産第一号が当事務所により扶助協会に持ち込まれました。「扶助協会援助による10万円、5千円の月賦で自己破産」という新聞広告は、カードローンによる多重債務者達への福音となる一方で、クレサラ業界の弁護士、司法書士たちに衝撃をもたらしました。

特定調停という国の債務整理の制度も、民事法律扶助協会による援助制度も、それまで闇の中に放置されていた多重債務問題の解決を、明るみの世界にさらしだすことになりました。議員立法による特定調停制度と法律扶助協会の果たした役割で大きなものが、多重債務問題を公開の場に置いたということでした。そして、この両制度とも、弁護士、司法書士の独占価格に深刻な影響を与えるものですから専門家の積極的な宣伝ということはなかったので一般には今なお十分には知られていません。

そして翌年、2001年、平成13年4月1日には個人の民事再生法がスタートし、住宅を確保したまま無担保債権を大幅にカットして個人の再建をはかることが出来るようになりました。当事務所再生第一号は経理課長を務める会社員で、以後、住宅ローンをしょった公務員、警備会社の社員、株取引で失敗した社員等、個人再生の恩恵にあずかる多重債務者達が次々に訪れて来ました。民事再生委員と司法書士が協力して実行する個人再生手続きは、透明性、公正さにおいて、多重債務問題の解決をさらに一歩前進させるものでした。

こうして、2001年、平成13年は、軌道に乗り始めた法律扶助協会、特定調停、個人民事再生と、新制度を直ちに取り入れ実行しているうちに、当事務所の債務整理受託事件は何時しか、登記事件をはるかに上回るようになっていました。
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  2001年、平成13年6月12日 司法制度改革審議会意見書内閣に提出
2002年、平成14年 ヤミキン被害全国に


2001年、平成13年6月12日 司法制度改革審議会の意見書が内閣に提出され司法制度改革がいよいよ実施に移されることになりました。司法試験合格者3000人とロースクール時代を迎えることになり、司法書士に簡裁訴訟代理権が与えられることになりました。大きな政府から小さな政府への、事前規制から事後規制へ、それを受けての行政改革、それの受け皿としての市民に身近な司法、これの実現が司法制度改革の目的です。市民への身近な司法、この第一線に立つのが全国の簡易裁判所であり、その改革の補佐役が簡裁訴訟代理人の司法書士ということになります。

さて1990年代末にかけ自己破産者が急増してきました。宇都宮弁護士率いるクレサラ対策協議会や被害者の会、民商クレサラ相談などの活躍がマスコミをにぎわし、司法書士も自己破産分野に進出してきて、手続きコストも徐々に下がってきました。一方、闇の多重債務市場では、今は弁護士会から追放された有名弁護士初めとする整理屋提携弁護士の活動、自己破産大量生産がピークに達しつつありました。

自己破産者の大量発生と10年に一度しか自己破産出来ないところに目をつけた違法業者が、自己破産者をもっぱらターゲットにして少額の貸付を始めます。これが今で言うヤミキンの始まりです。このグループはある程度組織化されていて、その金主に山口組系暴力団が控えていました。そのヤミキン被害が全国的に広がり始めたのが2000年、平成12年のことで、平成13年、2001年秋には全国クレジット・サラ金問題対策協議会、全国クレジット・サラ金被害者連絡協議会の大会が浦和市で開かれ、ヤミキン撲滅が宣言され翌2002年平成14年にはマスコミ等をとおしヤミキン撲滅キャンペーンが展開されました。

一方、当事務所の対応は、2001年、平成13年夏には、女性事務員一名を債務整理事務のために増員し、翌年2002年、平成14年春には更に1名増員して自己破産と特定調停代書を受託していましたが、この平成14年は、ヤミキン50社、60社を抱える多重債務者の救済にほとんど明け暮れる日々となっていました。この時、ヤミキン対策に特定調停制度が大きな威力を発揮しました。そして、平成14年秋、事務所を移転するとともにLANケーブルでパソコンをつなげ、更に事務員2名を増員し、LANケーブルは無線LANとし、翌2003年、平成15年になり、事務所は現在の陣容となりました。

2000年、特定調停制度、法律扶助協会、2001年、個人民事再生、と多重債務者を救済する制度改革とともに歩んで来ましたが、日々の事務に忙殺されている間に、多重債務問題を取り巻く環境はすっかり変わりつつあります。暴力と独占と隠蔽体質が染込んだ暗くジメジメした多重債務と高利貸しの世界は、インターネットによる公開と業者間競争、開かれつつある司法と拡充しつつある法制のおかげで、開かれた普通の日常的世界に変わりつつあるように思われます。
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  2003年、平成15年8月認定司法書士制度スタート

1998年、平成10年改正民事訴訟法が施行された年、私は司法書士向け自己破産ガイド「超済出発」を出版しました。それから早くも、現在2006年、平成18年、8年もたちました。この間、アイモードが普及し、ビデオ屋のビデオは今やDVDに変わろうとしています。ドッグイヤーとは良く言ったもの。人間の意識がついていけるのかと思うほど環境の変化は激しいです。ホームページの内容もどんどん陳腐化して行きます。

私の事務所が、登記から債務整理重点に本格的に移行したのは特定調停制度の出来た平成12年、2000年の夏頃からです。単に国民の需要に応じ、その需要に応じるような価格とサービスを提供しようとした結果ということが出来ます。

そして、2003年、平成15年8月、城南司法書士合同事務所は、法務大臣認定司法書士事務所となり、9月には過払い利息の返還請求訴訟第一号を東京簡易裁判所に提起しました。

司法制度改革、規制改革、相次ぐ倒産法制の改正、創設と、ともに歩んできて2006年、平成18年の今年の課題は、訴訟代理権を得たのだから、倒産法制の世界ばかりでなく、消費者契約の世界に駒を進めて行かねばならないと考えています。国民の暮らしを、簡易裁判所という身近な司法と消費者センターを結び、法の実効性を確保する機能を担うもの、それが弁護士とは異なる司法書士と評価されるようにと願い、また実践してゆく決意です。
 
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