靖国神社参拝と憲法改正問題、アジアと日本のこれからの付き合いのあり方が問題となってきている。大東亜戦争終結から60年となる。大東亜戦争、この言葉は終戦後間もなくGHQにより太平洋戦争と呼称するように変更させられたが、本来この戦争は日本がアジアの資源と領土に着目して天皇の名において起こした戦争で、その結果、アジア人2000万人、日本人300万人が死んだとも言われている。そのような戦争であれば、むしろ大東亜戦争と呼んだほうがその実体にはふさわしいだろう。一方、靖国神社問題は戊辰戦争、西南戦争、靖国では国賊扱いの西郷どんを思い出させてくれる。維新後の廃仏毀釈運動から、天皇の祖先を祭る神社のネットワークを急ぎ作るなかで生まれた、日本史においては比較的新しい施設、それが靖国神社である。
靖国神社問題も憲法改正問題もこの国の根本的なあり方を問う問題で、改正問題を含めそう簡単に結論のつく問題ではないだろう。しかし、この問題のおかげで、あらためて、近代主権国家としての日本国の成り立ちや天皇制そのものについて考える機会が与えられた。
ところで、仕事の合間に2週間をかけ、やっとジョンダワーの「敗北を抱きしめて」上下巻とハーバートビックスの「昭和天皇」上下巻、約1500ページを読み終えた。ハーバートビックスの「昭和天皇」の帯には「昭和天皇の戦争責任論議に終止符を打つ歴史巨編」とあったが全くそのとおりであった。日本現代史の意味するものを考えるにはまず天皇制とその実態、機能、作用について知ることが不可欠であるということを両著は教えてくれたのである。それにしても巻末の注釈にある膨大な引用文献には驚かされる。2001年にピューリツアー賞を受け、日本語訳は講談社より2002年11月に出版された。終戦後の日本を描いたハーバートビックスの「敗北を抱きしめて」は1999年にアメリカで出版され10を超える賞をさらい、日本語訳は2004年1月岩波書店より出版された。焼け跡から高度成長を生きてきた私にとって、その書の記述には懐かしささえ感じさせられるドラマがあった。
憲法を論じる前提としては、個人としての人間の尊厳、自由、平等、そして平和と戦争、民主主義について考えることが重要であるが、日本人にとってそれらの普遍的な価値がどのような意味を持つのか、上記書を読めば見えて来るような気がする。このように優れた実証研究の歴史書が、当然に韓国、中国を初めとするアジア各国の人達にも読まれているわけである。
ABCDラインに包囲されてやむ終えざるを得ない日本の戦争であったという侵略戦争の正当化の試みは、アジアはじめ世界の世論を怒らせるだけに終わってしまうだろう。柳田邦男さんがよく言われる「日本人の知的欠陥遺伝子」、養老さんの「ばかの壁」で指摘されている日本知識人の観念やステレオタイプに依存しがちな硬直的思考、日清、日露から始まる大東亜戦争の敗北は、そのような今に続く思考の敗北でもあったと私は思う。
さて本題にもどろう。前回の続き、「(1) 私は、将来身近な社会問題の解決に携りたいと思っています。司法書士資格とその業務はそれにふさわしい仕事でしょうか?」という質問の答えの締めくくりである。簡易裁判所の訴訟代理権を得て、社会問題の「法律技術をもってする解決」という仕事にとって、司法書士資格の意義と可能性は、従来の登記技術専門家の時代に比べれば飛躍的に大きくなったといえる。
しかし、それは改正された制度の枠組みがそのような可能性を、現存する司法書士、これからの司法書士に与えたということであって、法改正に込められた国民の期待に、実際にこたえて行くことが出来るかどうか、実績を蓄積することで国民からの強固な支持を得ることが出来るかどうか、これは又別の問題なのである。司法書士、行政書士、税理士、・・といった専門国家資格とはそもそも何であるかと言えば、本来、公務員がなすべき行政の執行作用の一部(事前規制に関わるものが多い)を、国の認めたものにまかせる、アウトソーシングの一種であると言える。であるから、行政国家から「市場と私的自治を主役とするアメリカのような司法国家(自由と創意工夫、チャレンジを尊重し事後規制を主とする社会)」への移行を展望しているような今日の時代においては、司法書士資格ばかりでなく他の専門資格も、法律改正によってどのように変貌してゆくか、それは定かではない。
国の1000兆円の借金を考えれば「行政国家から市場と私的自治を主役とするアメリカのような司法国家への移行」の速度は速まるかも知れない。登記事務は事前規制だがこうしたものはIT技術などの導入でどんどん合理化されて行くし、裁判事務は社会的病理を事後的に法廷で審判し解決する技術だからその重要性はますます高まる。とすれば「身近な社会問題の解決に携わる」仕事として、現在の司法書士資格は大きな可能性を秘めていると断言出来る。
しかし、ここであなたに言いたいのは、「司法書士資格ばかりでなく他の専門資格も、法律改正によってどのように変貌してゆくか、それは定かではない」から、自分なりの社会に対する視野や知識を、幅広く持って、「資格の専門知識」や「特定の資格取得」のための知識のみに決して一面化しないように常に気をつけておくよう忠告しておきたい。「資格の専門知識」や「特定の資格取得のための知識」は時代の要請に対応して行くものであるから変転極まりない。
こうした個別特殊の道具的知識を、生き生きと駆使し、しかも経営者として事業的にも成功するためには、時代と正面から対峙できる自由で独立した人格が、資格者である前に必要なのではなかろうかと思う。倫理倫理と叫ぶ司法書士や弁護士が労働基準法違反をしているようでは話にならないということだ。 |