回顧司法書士会群馬義捐金訴訟4 今、高らかに古典的自由主義宣言

 
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  回顧司法書士会群馬義捐金訴訟4
 
 
 
 
 
(法律事務独占と強制入会団体の論理)
 
 
 
 

今、高らかに古典的自由主義宣言

さて、司法書士会群馬義捐金訴訟を回顧してみたが、その訴訟の提起した問題が、現在そしてこれからいかなる意味を持つか、持って行くのか、これをこれから分析、展望してみたい。

しかし、まずはその前に、この問題を論じるについて私の基本的立場を明確にしておきたいと思う。これを論じるについては、現在、220万部のベストセラーとなっている話題の「国家の品格」を援用しながら論ずるのが分かりやすい。著者、藤原正彦氏は、現憲法の柱となっている自由、平等、民主主義を、その第三章で、それは実在するものではなくて西欧人の打ち出した単なる仮設に過ぎないと主張している。私も氏の主張のとおりであるとは思うが、問題は、この仮説を、論理の出発点にするのかしないのか、この決断がまさに重要な点なのである。

私はこの仮説、理念を(私の実存の)論理の出発点にするが、藤原氏は、これを論理の出発点にすることを拒絶する。藤原氏はその著書の中で「欧米にしてやられた近代」「欧米は野蛮だった」「数学のレベルも低かった」・・「近代合理精神の破綻」・・「資本主義の勝利も幻想」と述べられているが、その誇張された表現の背景にある資本主義500年の歴史、西欧絶対王政と天武天皇以来の統一国家としての日本との文化比較など、その前提事実の認識については、私とそれほど異ならない。しかしその評価については藤原氏と私とでは全く異なる。

藤原氏は、判断や評価、思考を支える「論理には出発点が必要」で、この出発点は、それ以前にそれを正当化する論理が存在しないのだから、この出発点は「論理的帰結ではなく常に仮説なのです。そして、この仮説を選ぶのは論理 ではなく、主にそれを選ぶ人の情緒なのです。・・情緒とは、論理以前のその人の総合力と言えます。その人がどういう親に育てられたか、どのような先生や友達に出会って来たか、どのような小説や詩歌を読んで涙を流したか、どのような恋愛、失恋、片思いを経験してきたか。どのような悲しい別れに出会ってきたか。こういう諸々のことがすべてあわさって、その人の情緒力を形成し、論理の出発点Aを選ばせているわけです」(50〜52P)と言われている。

これは全く正しいと私も思う。そして上記事情を背景としてなされた実存的選択の結果が、今日的資本主義形成の基礎となった欧米起源の諸理念、自由、平等、個人、契約、所有権等を普遍的な社会原理として受け入れる私と、これを拒否する藤原氏とでは、全く異なることになる。中年管理職の酒場談義をまとめたような洒脱な新書であるが、64歳の藤原氏と63歳の私が酒場で議論しなくて良かった。殴り合いになったかもしれないからだ。氏のいわれる「卑怯」への生理的嫌悪と憎悪、これは一致だ。思いやりにも同意。それにも関わらず殴り合いとなりかねない実存的選択の違いを強調する藤原氏の論理、これを220万人の人が読み国中のマスコミの話題となるような、この国の現在とは一体何なのであろうか。この選択の違いは、1943年作家の次男として満州に生まれ「私は小学校の時から勉強はめざましく出来ましたが、女性にはいっこうにもてませんでした。・・その上、絵の才能は小学校からずっと通信簿で「2」でしたし・・」(89P)というおいたちと、1944年東京生まれ、海軍中尉、海軍施政官としてフィリピンに駐在、捕虜となり、戦後公務員として民主税制改革の前線に立ちながら戦前の全体主義を嫌悪する父と、漫画は禁止、シラーのウイルヘルムテルを読ませられ代官ゲスラーを憎むように、第一次教育ママに育てられた私のおいたちと、その違いがそうなせるのであろうか。

近代憲法の思考様式は、各人が生まれながらに背負っている差異をいったん無視することから出来上がっている。しかし、実際には、個人は均質ではありえない・・近代憲法の枠組み自身は虚妄であったのかも知れない。もちろん、それが虚妄であるということと、それを維持し続けてきた人間の賢慮を評価することは別の問題に属する。しかし、賢慮は規範と現実との間にある溝を知恵によって埋めることによって支えられなければ無意味となる」(近代憲法における団体と個人 橋本基弘 3P)。この埋める作業が私の仕事であり、個人の尊厳、自由平等という理念は、その出発点であり、かつ目標でもある。群馬義捐金訴訟と強制会制度を論じるにあたっての出発点も同様である。心情的に見れば「卑怯」と「思いやり」の問題でもある。藤原氏であれば、この事件の発端とその後の全経過についてどのように評価されるか興味深い。藤原氏であれば 北朝鮮を撲滅したいと思われるかもしれないが、今生じている北朝鮮含む国際紛争にとり重要なのは、すべて、富の形成(経済成長)にあり、日本のように個人に一定の富が蓄積されるようになれば、戦争のような事態だけは避けたいと思うようになるはずだ。感情や情緒、時には理念さえも、論理や計算(損得計算といっても良い)によって検証、考量、制御されることが、今日においても重要なのである。

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