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弁護士会のクレサラ向けインターネット広告には、表現上の問題と独占禁止法上の問題があると述べて来た。実際上の効果はどうかと考えれば、弁護士や専門家達が想像している以上に、現代の消費者は賢いから、後から請求される追加料金にいっぱい食わされたと思うだろうが、その後の消費者の審判は決して甘いものではないだろう。 「広告の法理」(民事法研究会)という平成10年刊行の書籍の中で国弘正樹弁護士が専門家の業務広告と責任という章の中で、弁護士と広告について述べている。その中で「取引関係において(利用者との)力の格差がある状況において、専門家が自由にその業務を広告できるとしたら、顧客を騙すこともたやすい。悪い専門家に騙される善良な素人を保護しなければ」ならないという今でも少なくない意見を紹介しながら「しかし、専門家と市民の関係を、強者と弱者、と固定的に捉えてもいいだろうか。社会関係、法律関係というものは、対等な当事者間の関係ということで、常にバランスを取っていかなければならないと思う。 専門家に対して、依頼者は専門能力においては劣るかもしれないけれども、お金を払って頼むのであるから、依頼者の方に選択権がある、というような対等な力のバランスを保ちうるシステムを、社会的に構築していく必要がある」と述べられておられる。 このシステムとは、消費者の選択に開かれた業者間競争に他ならないが、この書籍出版の6年後に登場したのが東京1384人のクレサラ登録弁護士たちのインターネット広告であった。国弘弁護士は「広告した内容に関する専門家責任の強化」を呼びかけられているが、このインターネット広告からは専門家責任は感じられない。 ところで、最近の長期大不況を、15年不況と呼ぶ人もいるが、私は20年不況、つまりあと5年は続くからこれを20年不況と呼びたいと思う。戦後、1945年から1990年までに形成された成長経済下での秩序が、1990年を頂点に溶け始めた。この秩序を溶かし始めたものは、大衆的な豊かさである。その豊かさは今でも何とか維持されているようだが、発展とか進歩とかいう観点からみれば、少しずつ縮小後退し始めているように見える。 少子高齢化社会それ自体が社会そのものの縮小衰弱の姿ではないか。しかし、その後に来るものが全く見えないかと言えばそうでもない。権威、支配命令、団体、組織が支配していた貧困の時代から、豊かさは、個人と契約の時代をもたらそうとしている。権威、支配命令、団体、組織の時代のムードを支えていたのは、我妻民法であり松本清張の世界であり、社会主義思想と史的唯物論であった。 つまり現実の貧困とその反射としての夢の理論化としてのイデオロギーと硬直したドイツ風形而上学であった。しかし、それは全く過去のこととなり、インターネットと携帯と消費者金融の時代に生きる人たちにはどんな説得力も持たない。そのような現実に、弁護士会も司法書士会も翻弄されているように見える。 広告や価格競争が自由化されるや、保守的な人々は今やカタツムリのように殻に閉じこもり、これを喜ぶ人たちは初期の産業資本家のように荒々しくメデイアに登場する。ともに不動産神話時代で独占の利益を享受していた弁護士制度も司法書士制度も、「現実の貧困とその反射としての夢の理論化としてのイデオ ロギーと硬直したドイツ風形而上学」の時代に作られ成長発展した制度だったのである。 しかし、この制度も時代の運命を免れることは出来ない。これから5年、旧制度の担い手たちは確実に姿を消して行く。そしてそれから新しい制度が作られる。左翼思想のあとに残された長い墓標の列と同じように、成長神話にも長い墓標の列が並ぶようになる。