知識サービス業の価格は、コストの積み上げによって決まるのではなく、開かれた競争市場において国民の選択が決めると言いました。この選択権が保障されていないために、国民の側からは常に高い、高すぎるという不満が生じてくるわけです。
アメリカでは、弁護士の報酬はタイムチャージと成功報酬の完全二本立てで、日本のように着手金というようなものはありません。タイムチャージは法律事務処理のみを受託した場合の料金で、1時間1万円とか3万円とか、それぞれの価格で競争しています。一方、訴訟は完全な成功報酬で、かかる経費は法律事務所持ちですから、負ければ法律事務所が倒産するなどということは当たり前のことです。ジョン・トラボルタのシビルアクションという映画を見ればそれが良くわかります。
その代わり成功報酬の割合は、依頼人との間で自由に決まります。請求金額1億の訴訟に付き、依頼人と成功報酬5割の取り決めをすれば、その訴訟に勝てば5千万円の報酬が弁護士に入って来るわけです。
いまでは説得力を失ってしまいましたが、業務独占と価格カルテルの必要性を正当化するために、業務の公共性、公益性という理論を展開する人たちが司法書士、弁護士に少なからずいました。結構、こういう観念的な理屈に日本人は騙されやすいため、それを自然に受け入れるようなところもありました。
司法書士の仕事と弁護士の仕事に公共性、公益性があることは当然で、又、その業務のあり方について、国民からいろいろな注文があるというのも当然のことです。高い理想をかかげ公益的な業務に励み生きがい、使命を感じる、このことは司法書士、弁護士たるもの忘れてはいけないプロフェッションとしての基本です。
しかし、同時に、司法書士も弁護士も、経済社会での一事業者なのです。経済社会を支える他の事業家達と区別されるいわれはなく、ましてや何らかの特権を得る理由もないのです。専門家の高い志や理想は、国民の選択するサービスの選定評価基準の問題であって、その判定権は国民にある。 |