特定調停制度が裁判所を庶民にとってより身近なものにした
特定調停制度につき宮古民主商工会ウミネコ道場の大森道場長は「特定調停は調停委員任せでは正しい勝利に結びつきません」と言われるが正しいというよりは、当然であると言うべきだろう。
官庁が私人の権利義務関係に関わった時には、多重債務者ばかりでなく少なからぬ国民が官庁の解決能力に過大な期待をする。官庁は司法も含めて、法律に基づき問題に対処するのであるから、権利主張を裏付ける証拠や必要な手続き書類の準備とその記載、陳述書の提出などは当然に必要とされる。
紛争には必ず相手方がいるのであり、もしそれらの客観的資料がないままに官庁が一方当事者の言い分のみを聞いて裁量的判断を下せばそれは法治国家の根本原則に反しその結果、恣意的な権力の行使を認めることになる。であるから、調停の場においても調停委員の判断の助けとなるように、債権者の請求が止まっている段階で、事前に債務多重化するに至った経路を整理し、各債権者からの債権の内容を出来る範囲で明らかにするなどの準備をしなければならない。
本人の権利利益に関わる本人しか知りえない情報の収集までを手伝ってくれるのではないかと期待する人も少なくないし、また肝心の事実を秘匿する人もいるし、単に意のままにならないとそれを官庁のせいにしたり、司法書士や弁護士の無能のせいにしたりする人も珍しくない。
もっともこのような事態は、債務整理における手続きや司法手続きに対する法律専門家の説明不足によっても惹き起こされる。むしろこのような場合の方が多いのではないか。特定調停法は議員立法で2000年の2月に成立施行された。以来5年となる。制度発足当初は調停委員に対する不満がインターネットのサイトに溢れていた。事実利息制限法の引き直し計算の出来ない調停委員もいたのである。
しかし利用者が増大するにつれ、裁判所のサービスも確実に向上して来た。申立てのあった債権につき業者から事前に取引履歴を取り寄せたり、資格証明
の添付を本人申立てに限り省略を認めたり等々で、調停委員に対しても裁判所がこれを指導しているようである。
ただ調停委員も裁判所が法律に基づき調停業務を委嘱した、一般国民に他ならない。調停委員それぞれにも様々な考え方、個性、価値観がある。調停委員に対してばかりでなく、そもそも、弁護士や司法書士、官庁のサービスに対して過剰な期待を持つのが間違いで、期待を裏切られればその反動で何もかも真っ黒、裁判所や法律家など所詮弱者の味方じゃないという結論が、「過剰」な期待故に生じてしまう。
特定調停は費用も安く国民にとってなかなか良い制度なのであるが、調停である以上、その限界もある。調停の場は権利義務を確定するところではない。又、利息過払い金の存在が判明しても、それは別途に法廷で請求権を確定した上で請求しなくてはならない。また調停である以上、相手方債権者の主張を全く無視することも出来ない。
例えば分割払いの回数は、特定調停においては3年、36回払いが基準となってこれが定着しているようだが、これは債権者が裁判所の提案においてこれ以上の分割を認めないからだ。専門家を介した裁判外の和解では、50回、60回分割も珍しくはない。
「ウミネコ道場被害者手記集」で、下脇啓子さんは、「これまでの裁判及び書記官の対応でも分かるように『裁判所は100%弱者の味方ではない』ことが感じられました。このことはウミネコ道場でも話されていたことでした」と言われている。司法は少数者、弱者の味方と良く言われるが、それは法適用における法の下の平等という原則が、大企業も一個人も平等に取り扱う結果、その反射として少数者、弱者の権利保護となるということで、司法の正義は法律を正しく適用することにその使命があり、弱者に手を差し伸べ、いたわり勇気付けることがその使命ではない。親切な書記官もいれば冷淡な書記官もいる。
だからといって、それをもって「裁判所は100%弱者の味方ではない」という結論を導き出すのは誤りだと思う。しかし特定調停制度が裁判所を庶民にとってより身近なものにしたことは事実であって、これを機に、被害者の会のリーダー達もそれを指導する司法書士達も、個人の自由と権利を護る機関としての司法とその手続きについて国民に啓蒙して行く必要があるだろう。 |